エッセー焼き肉文化           森村誠一(作家)
月刊焼肉創刊号よりの抜粋



 焼き肉は庶民の食べ物である。ラーメンと並んで、若者に最も人気のある食べ物であろう。若者だけではなく、焼き肉はアダルトにとっても大変健康的な食物である。
 私は五十代に入ってから、それまで無関心であった健康に気を遺うようになった。健康に無関心ということは、それまで自分が健康であった証拠であろう。だが、年齢相応に身体各所が衰えたり傷んだりしてきてる。同年輩の知己が糖尿病、癌、高血圧、動脈硬化、心臓疾患などの病気に次々につかまって、自分自身も不安になってきた。
 そんな折、かかりつけの医者から、動物性蛋白質を摂取しないと内臓、特に肝臓と腎臓が痩せてくると言われた。だが同時に、動物性蛋白に含まれる脂肪が諸成人病の引き金にもなると脅された。肉を食わなければ内蔵は痩せ、食えば成人病になるのでは、一体どうしたらいいのか、と間うと、医者はよい知恵をおしえてくれた。「焼き肉がいい。有害な動物性脂肪をほとんど落として、しかも良質の動物性蛋白質が摂れますよ」以後、私の動蛋源はほとんど焼き肉になった。焼き肉のいいところは、肉だけではなく野莱と一緒食べることである。生野菜は胃の負担になり、大量に食べても、大した量にはならない。焼き肉はあまり一人では食べない。気の合った同士でテーブルを囲みながら、賑やかに盛り上がる。値段も手頃で、栄養のバランスがよい。
 併せ飲む酒やビールの味は格別である。焼き肉には日本酒、ワイン、ビール、焼酎、マオタイ酒、ウイスキー、ほとんどどんな酒でも合う。どんなに食い、飲んだところで、値段も手頃である。ジュージユー焼ける音に煙と香ばしい匂いは豪快である。まことに焼き肉は庶民の味方の食物であり、健康的な食べ方と言えよう。


 ▲ソウル市内の韓国料理店の風景

 焼き肉は韓国から伝わった食文化である。
 日韓には戦時中、不幸な歴史もあったが、この食文化が日韓交流の重要な架け橋の一つとなっていることをおもうとき、まことに食は単に人間の生命や健康を支えるだけではなく、人間関係の媒体であることを実感する。夫婦さし向かいの食事や、家族で囲む食卓から、冠婚葬祭、各種集会、国際会議に至るまで、人間の集まるところ、食物の出ないことはない。食物を囲んで人間関係が和やかになる。韓国から発した焼き肉はいまや完全に日本化して、日本の庶民の食べ物になっている。
 焼き肉の身上は庶民性と、栄養のバランスと雰囲気にある。焼き肉のあるところに人間の紛争はない。和やかで、陽気で、対立、あるいはいがみ合っていた人たちも、焼き肉を囲んで和やかに打ち解け、相互理解を深める。
 想いを過去へさかのぽらせると、人類が文明というものを持ち合わせたのは、獲物の肉を焼くことをおもついてからである。人類の文明の原点は焼き肉である。

森村誠一(もりむら・せいいち)
1933(昭和8)年埼玉県熊谷市生まれ。青山学院大学英米文学卒業後、10年間ホテルマンとして勤めたのち、69年に「高層の死角」で江戸川乱歩賞を受賞し、作家デビュー。代表作に「人間の証明」「忠臣蔵」「人間の剣」など。

            

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